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母国のクラフツマンシップを<br>デニムを通して世界中へ再発信<br>Denim Dealer

母国のクラフツマンシップを
デニムを通して世界中へ再発信
Denim Dealer

今や世界中で空前の大ブームを巻き起こしている“古着”や ヴィンテージのアイテム達。その中でも、多くの人々にとって 最も馴染み深いアイテムとしてあげられるのがデニムだ。 そして、そんな日常的なアイテムをアップサイクルし、 世界に一つの1ピースをメイクするフィリピン、マニラ出身の 『Denim Dealer』は、今本誌が注目する次世代アーティストの一人。母国フィリピンのカルチャーと、カナダで吸収したノースアメリカンカルチャーを融合させ、ヴィンテージデニムワールドを世界に発信するデザイナーの頭の中を覗くため、異国の地でインタビューを決行した。

ーDenim Dealerが以前から気になっていたけど、ようやく会えたね! 今回は過去から未来まで幅広く聞かせてもらいます。まずは、DDの生い立ちから聞かせてください!

Denim Dealer(以後D):そうだなー、どこから話そうか〜。 まず生い立ちから話すと、自分はマニラのケソンシティーで生まれ育った。それで、12歳の時にカナダのミシサガに引っ越すことになったんだ。慣れるのに時間はかかったんだけど、その状況でも常に芸術を続ける方法を探していたのを覚えてるよ。それはグラフィックデザインだったり、バスケットボールシューズのスケッチだったり、漫画を描いたりすることとか色々だね。最近になってまたマニラに居ることが多くなっているよ。二つの拠点生活って感じだね。

ーなるほど。そしたらファッションに興味を 持ち始めたのはちょうどカナダに行ったとき?

D:いや、ファッションに関して言えば小さい頃から既に興味を持っていたよ。おれの親父は昔からかなりイケてて、カリスマ性があって、ファッションセンスもずば抜けていたんだ。 それに影響を受けたのは間違いないよね。どの服がイケててそうじゃないかっていうのをずっと教えてくれていたんだ。 ファッションブランドについてのノウハウもその時からよく親父から話を聞いていたよ。

ーかなり早い段階から興味があったみたいだけど、 実際にモノづくりを始めたのはどれくらいのときだったの?

D:一番最初に服を作ったのは8歳の時だったかな。 友達と自分用にカスタムのシャツを作ったのを覚えてるよ。 小さいシャツにマーカーでデザインを書いたようなチープなものだったけど、それが間違いなく服作りの始まりだったんだと思う。それで、17歳のときに高校のバスケットボール大会を企画するタイミングがあったんだ。グッズとチラシをデザインして建物のあちこちにボムしたんだ。チケットはすぐに完売して、みんなが観にきすぎちゃったから高校の最終授業が中止になったりしてたね(笑)。

ー8歳の時というのは驚きだね! その後はどういうストーリがあったの?

D:転機があったのはちょうどカナダで大学に1年通ってた時かな。今でも親交のある友達がいて、彼がその時日本のオークションサイトでバイアンドセルをやっていてんだ。同じような趣味を持っていたからすぐに友達になったんだけど、それがきっかけで、〈Undercover〉や〈 Capital〉、〈Final home〉など自分が尊敬する日本のブランドを知ることができたんだ。彼に出会わなかったら、今頃服作りはしてないと思う。ステファン、ありがとう。彼は間違いなくあの学校で一番おしゃれな友達だったよ。

ー日本のブランドからも影響を受けていたんだ! そこからどういう経緯でモノづくりを始めたの?

D:何よりも日本の職人技の基準の高さにとても感銘を受けたのがモノづくりに改めた興味を持ったきっかけだったと思う。 ある日、売るつもりもなくただ自分のために何かを作ってみることにしたんだ。友達のミシンを借りて、一晩中作り続けていたら、そのプロセスが楽しくてブログページを通じて自分の作品を宣伝することにした。そしたら 1ヶ月もしないうちにLAの見知らぬ人が最初のジーンズを買ってくれたんだよ。達成感を感じたし、その状況で可能性を感じることができた。リスクを冒してフルタイムでファッションを追求する道を選んで、大学を中退したんだ。

ー大きな決断だったね!その時がブランドの〈Denim Dealer〉のスタートでもあると思うんだけど、どんなコンセプトなのかな?

D:〈Denim Dealer〉のコンセプトは、職人技を通してラグジュアリーを再定義することだと思ってる。世界に一つのアートピースを作って、大袈裟かもしれないけど家族の家宝となる一点物の服を作ることが目標。 ここ数ヶ月はフィリピンの地方にある部族や村に足を運ぶことにをフォーカスしていたんだ。手織りの職人に会って、自分のルーツについてももっと学ぶことができた。

ー他に何か影響を受けたりすることはある?

D: 音楽は自分にとって欠かせないエレメントの一つだよ。音楽からは多くの影響を受けている。 音楽アーティストは間違いなくカルチャー全体をプッシュしている存在だし、成功しているアーティストは 皆高いファッションセンスをもっていると思うんだ。だから音楽もファッションも上手くミックスするのが DDのスタイルだね。

ーSNSでもよくラッパーが〈Denim Dealer〉のアイテムをきているのを見かけたのも納得だね!今は、フィリピン、カナダ だけでなく世界中で広がってきているイメージだけど、この先のヴィジョンがあれば教えて!

D:最終的なビジョンは、〈Denim Dealer〉がラグジュアリーな空間の中でオンリーワンなスタイルを確立すること。俺らがやっているアートワークやスタイルが尊敬されるようになったら嬉しいね。フィリピンの職人技がどのようなものであるかを世界に示していきたいと思っているよ。

ー DDには何か新しさと大きな期待を感じているよ。 いつかまた日本であいましょう!サラマッポ!

  • Photograph_MT

Denim Dealer

Profile
若干24歳にして既に世界中から多くの評判を集めるデザイナーの一人。幼少期はマニラで過ごし、12歳の時にカナダへ移住。大学の時に決心をし、独学でデザイナーとしての道へ進む。間もなくしてデニムのコミュニティサイト“lildenimjean”にフックアップされ、今やその名を世界中へ轟かせている。この先が注目されるデザイナーの一人。
@denimdealer

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